映画『51(ウーイー) 世界で一番小さく生まれたパンダ』公式サイト

パンダ,51,ウーイー,ミゲル,翼をください,塩浜雅之,金澤翔子,ドキュメンタリー,母子

パンダトリビア

パンダの出産と成長

通常2月から5月に発情期を迎えますが、そのうち妊娠可能なのは1〜3日間と非常に短く、妊娠期間はなぜか約80〜200日とかなりの幅があり、1〜2頭の子供を産みます。産まれたときの体重は100〜150グラム程度で、大人の1000分の1しかありませんが、1年後には30キロを超えます。産まれたての赤ちゃんは全身薄いピンク色で、わずかに白い毛が生えていて、生後10日でうっすらと白黒模様が現れはじめ、4週間ではっきりした模様になります。そして生後6〜8週間で目が開き、3ヶ月で歩けるようになります。

歴史上のパンダ

古代中国の文献には古くからパンダの姿が登場し、習性が猛獣のようであるという記述が見られます。『史記・五帝本記』によると、少なくとも4000年以上前、黄帝は飼い慣らした虎、豹、熊などの猛獣と共に貔貅(ひきゅう)(=パンダのこと)を使って、阪泉(今の河南省逐鹿県)で炎帝とその軍に大勝した、とあります。『尚書』と『詩経』には、3000年以上前、貔貅(ひきゅう)の毛皮が、世にも珍しい物ということで皇帝への貢物とされたと記されています。貔貅は虎や豹と同じくとても力のある獰猛な生き物と考えられており、進軍するとき、「貔」や「貅」という文字を旗印にして、軍の力を誇示しました。西暦627年、唐の太宗の時代、功臣たちを招いて宴を開いた太宗は貊(ばく)(=パンダのこと)の毛皮一枚を下賜しました。

パンダのイメージには、猛々しいもの、神秘的なもの、珍しいものの他に、平和や友好といったものもあります。紀元3世紀頃の西晋の時代から、人々のパンダへの認識が大きく変わりました。西晋の人々はパンダを「騶虞」と呼んでいました。パンダの食物は竹だけであることと、他の動物を傷つけることがないので“平和と友好”を象徴する動物となったのです。西晋の人々は、戦争中で相手が「騶虞」と記した旗を高く掲げることは停戦を求める意味としました。また1999年、中国で開催されたスポーツの祭典であるアジア大会では、パンダの「パンパン」が、また2008年の北京オリンピックでもパンダが公式マスコットとなりました。

世界のパンダ・ブーム

1869年、フランスの宣教師で博物学者のジャン=ピエール・アルマン・デヴィッドが、初めて西洋にパンダを紹介して「パンダ・ブーム」が起こりました。また1916年、ドイツ人のウェイグルドは四川省の汶川で子パンダを捕獲し、生きたパンダを捕まえた初めての西洋人となりました。イギリス人のF・タンギー・スミスは中国のパンダ生息地に暮らし、20年間に四川の汶川県内だけで12頭の生きたパンダを買い取り、“パンダ王”と呼ばれました。
アメリカ人女性ルース・ハックネスは、生きたパンダを初めて中国から外国へ運んだ人物です。ルースは亡くなった夫の遺志を受け継ぎ、パンダを探しに四川に向かいました。彼女は夾金山の竹林の中で、生後約30日の子パンダを見つけ「スーリン」と名付けると、1937年の春、アメリカのシカゴ動物園で公開しました。スーリンは人気者となり、パンダを見るために毎日4万人が集まったといいます。スーリンは西洋で新たなパンダ・ブームを起こしたのです。

パンダ外交

1949年に中華人民共和国が成立すると、パンダは“国の宝”と讃えられ、友好の使者として何度も中国から贈られ、中国と世界各国の友好関係を結ぶためになくてはならない存在となりました。 旧ソ連や北朝鮮、アメリカ、本、フランス、ドイツ、メキシコ、スペインなど9カ国に送られました。
野生のパンダの数が急速に減少し、中国政府はパンダを保護するために70年代末から、国外向けにパンダを贈り物としないことを決めました。1993年からは商業的な目的でパンダを貸し出すことが廃止され、パンダが海外へ行くのには、双方がパンダを共同研究するということだけとなり、その土地でパンダが生まれた場合は生まれた子パンダは中国が所有するということになりました。2008年6月までに、26頭のパンダがこの共同研究という目的で海外で暮らしています。その数はアメリカで11頭、オーストリア3頭、スペインとタイが2頭ずつとなっています。日本では現在11頭が飼育されています。

パンダの生物的な特性

パンダは約800万年前から存在する生物の1つで、パンダのことを尊敬の念を込めて「生きた化石」と呼ぶ科学者や考古学者もいます。そして他に類を見ない不思議な、奇跡的ともいうべき進化の過程を歩んできました。パンダは長い時間をかけてあの独特な生物的な特徴を獲得してきました。肉食動物のような器官を保ち続け、群れをつくらず単独で行動するという特性があるのに、自然界でたくましく生き続けてきたという点です。最後の氷河期である第4氷期のあと、サーベルタイガーやステゴドンといった生物は死に絶えましたが、唯一パンダだけが、幾度も種の存続に関わるような危機に直面しながら、今に至るまで生き続けているのです。
地球の誕生から人類の歴史以前、パンダは中国の黄河や長江、珠江流域やベトナムやミャンマーにも分布していました。今は四川省、陜西省と甘粛省のわずかな地域と高山の渓谷にかろうじて生息しています。野生のパンダは1600頭足らずで、世界絶滅危惧種とされています。

日本のパンダ・ブームの歴史
1972年
日中国交正常化を記念して中国より日本に二頭のパンダ、ランラン・カンカンが贈られ、上野動物園にて一般公開される。公開初日だけで6万人を動員。
1972年
宮崎駿原案・高畑勲演出のアニメ映画『パンダコパンダ』公開。
1980年
ホアンホアンが贈られるがカンカンが死亡。
1981年
79年に死亡したランランの剥製が地方を巡業、83年までに117万人を動員。
1982年
日中国交正常化10周年の記念としてフェイフェイが贈られる。
1986年
フェイフェイとホアンホアンの間にトントンが生まれ再びパンダ・ブーム到来。
1988年
フェイフェイとホアンホアンの間にユウユウが生まれる。
1992年
日中国交正常化20周年を記念してユウユウとの交換で北京動物園からリンリンが来日。
1997年
新潮社がキャンペーン・キャラクターにパンダを使用。前年比15%増の売上げを記録。
1998年
パンダのキャラクター『たれぱんだ』が大人気に。以後様々なグッズが作られる。
2000年
ウーイーの祖母に当たるメイメイ(梅梅)が和歌山県アドベンチャーワールドに来日。
2003年
生茶のCMに『生茶パンダ』登場。大人気に。
2008年
北京オリンピックが開催されパンダが5つのキャラクターのひとつに採用される。
『カンフーパンダ』公開。世界26ヶ国でオープニング興収No.1を記録。
2011年
久しぶりにリーリーとシンシンが来日し、上野動物園で一般公開される。
2012年
中国より共同研究として仙台市にパンダが贈られる事が前向きに検討されている。