すべてを失った日本が、焼け跡の中から生み出した「マンガ」。戦後の日本に活力を与えただけでなく今や世界中に広がり、カルチャーの一大潮流となった。

ところが我々日本人はこの分野で世界から絶賛、注目されるクリエイターの名前を知らない。彼の名は、辰巳ヨシヒロ。元々は子供のものであった「マンガ」を、大人の読み物に昇華させ、“マンガの神様”手塚治虫を嫉妬させた「劇画」の名付け親である辰巳。

彼の功績は、アメリカ・フランスといったマンガ文化の先進国において極めて高い評価をうけ、マンガ界におけるカンヌ国際映画祭と言われるフランスの「2005年アングレーム国際漫画祭」で特別賞を受賞、2006年度「TIME」誌ベストコミックスで2位を獲得するなど、世界中で数多くの賞を受賞。フランス語圏のマンガ、バンド・デシネにも多大な影響を与え、その地位を確立している。

本作は2009年手塚治虫文化賞大賞を受賞した辰巳ヨシヒロの自伝的エッセイマンガ「劇画漂流」と、彼の代表的な5つの短編を最新技術によって映像化した、今まで誰も観た事のない「動くマンガ映画」である。日本中が高度成長期にわいている中、辰巳ヨシヒロが描き続けた、〈人間〉の姿とは…。

監督は、カンヌ国際映画祭の常連で、ロカルノ国際映画祭の審査員長も務めた、シンガポールのエリック・クー。声の出演は、監督から直々に指名された俳優・別所哲也が、ナレーション他、一人六役に挑戦している。

世界が認め、日本が知らない、この誇るべき才能を、今知るべき時がきた!

手塚治虫七周忌の会場。マンガ家・辰巳ヨシヒロは、手塚治虫が生み出した数多くの偉大な作品に思いを馳せていた。戦後復興の兆しが見えてきた昭和23年、当時中学生だった辰巳少年は兄と手塚治虫の影響でマンガを描き始める。

4コママンガを投稿していた新聞社から取材を受けたのを機に、マンガの神様手塚治虫と出会うことになる。手塚氏からの「長編マンガを描きなさい」という言葉に奮起した辰巳少年は、高校卒業後晴れてプロのマンガ家となる。貸本マンガの流行を受けて、新聞が「俗悪マンガの氾濫」と書き立てる中、大人向けの作品を描いていた辰巳は憤慨。自らが描くマンガを、語感が強くてドラマ性を感じられる「劇画」と命名する。マンガ家仲間と「劇画工房」を結成し、発した「劇画宣言」は以降の劇画ブームの火付け役となった。

劇画が広く世間に受け入れられ、マンガは子供のものという認識が薄れていくなかで人気マンガ家が次々と登場。皮肉なことに辰巳への注文は減っていく。生活のために描くようになった辰巳は、高度経済成長期で浮かれる世の中への怒りを作品に吐き出すように日陰に暮らす人々を描く筆圧が高まっていくのだった。

地獄/HELL

従軍カメラマンとして、原爆直後の広島を歩いていたコヤナギは、光線によって一瞬で壁に焼きつけられた親子の人影を見つける。終戦後、コヤナギはその撮影者として一躍有名人になるが、写真の真相を知る男が現れ……。

いとしのモンキー/
BELOVED MONKEY

四畳半のアパートで、一匹の猿と暮らしている孤独な男。職場の工場には友人はおらず、寄ってきた女は金目当て。なにもかもが嫌になり退職を決意した矢先、不慮の事故に遭ってしまう。失職した男は猿を手放すことにしたのだが……。

男一発/JUST A MAN

定年退職を間近に控えたハナヤマ課長。会社ではもう居場所がなく、家に帰れば悪妻と娘夫婦が退職金の算段をしている。悪妻への復讐のため、ハナムラは貯金をはたいて浮気をしてやろうと試みる。

はいってます/OCCUPIED

連載の打ち切りを命じられた漫画家の男。頭痛と腹痛に襲われて飛び込んだ公衆トイレには、一面に卑猥な落書き絵が。落書きから描く楽しさを再び思い出させてもらった男は、気づくとその卑猥な絵にとりつかれたようになっていた。

グッドバイ/GOOD-BYE

米兵相手の娼婦をしているマリコ。アル中でいつも金をせびってくる父親、信じていた米兵の裏切り、自分を軽蔑してくる町の人々……。なにもかもが嫌になったマリコが選んだ自分の道とは。

辰巳ヨシヒロ

1935年、大阪生まれ。中学時代に手塚治虫作品と出会ったのがきっかけでマンガ家を目指すようになる。51年作の長編「愉快な漂流記」で東京の鶴書房からデビュー。55年頃より、従来のマンガの手法に飽き足らなくなり、新たな手法を模索。デフォルメや笑いを排し、ページ数の多い単行本の特徴を生かして、コマ数を多く使うことにより、よりリアリスティックな作風を確立。57年末、この新たな手法を自ら「劇画」と名付ける。
59年初頭には「劇画ブーム」が起こるが、ブームの一方で本来の意味を失った「劇画」に幻滅。シーンに背を向け、社会の底辺に着目した意欲作を発表。これらの作品は発表当時こそ大きな反響はなかったものの、80年代以降海外で高く評価され、国際的なコミック・フェスティバルにノミネートされること多数。

2005年の仏アングレーム国際コミック・フェスティバル、2006年の米サンディエゴ・コミック・コンヴェンションでは、マンガを大人の観賞に堪えうる「芸術」へと引き上げた功績が認められ、特別賞を受賞。

自伝的長編漫画「劇画漂流」は、本国日本での出版が決定する以前から、英語版、スペイン語版の出版が決まっていた。

2008年「劇画漂流」で第13回手塚治虫文化大賞を受賞。

2010年には漫画会の米アカデミー賞とも言える、アイズナー賞を2部門受賞するなど国内外で再評価をうけている。

別所哲也
静岡県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。大学在学中の87年、ミュージカル「ファンタスティックス」で俳優デビュー。90年、日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビューし、米国映画俳優組合(SAG)会員となる。以降、映画・TV・舞台・ラジオ等で幅広く活躍中。近年では、「レ・ミゼラブル」「ナイン THE MUSICAL」「ミス・サイゴン」「ユーリンタウン」などの大作・話題作の舞台に多数主演。2010年4月、第1回岩谷時子賞奨励賞受賞。
99年より、日本発の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル」を主宰。2004年には、米国アカデミー賞公認映画祭に認定された。 2008年、映画祭は10周年を迎え、横浜みなとみらいに、国内初の映画祭連動型短編専門ブティックシアター、『ブリリア ショートショート シアター』をオープン。また、これまでの映画祭への取り組みから、文化庁・文化発信部門の長官表彰を受賞。観光庁「VISIT JAPAN 大使」、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員、カタールフレンド基金親善大使、横浜市専門委員、映画倫理委員会委員に就任。

《近年の出演》

映画:「ツナグ」・「相棒シリーズ X DAY」・「向日葵の丘 1983年・夏」、ドラマ:NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、舞台:「朗読活劇 レッチタ・カルダ『義経』」・「ホテルマジェスティック」・「激動-GEKIDO-」・「カルメン」、CM:野村證券「with NISA」
監督:エリック・クー
1965年3月シンガポール生まれ。オーストラリアのシティアートインスティテュートで撮影を専攻し、映画製作を学ぶ。兵役の後、テレビCM製作の仕事の傍ら1990年ごろより短編映画製作をスタート。長編処女作『MEE POK MAN』(96・未)がベルリンやヴェネチアなど主要映画祭で上映され、福岡・釜山・シンガポールの映画祭で受賞したことで注目を浴びる。

第2作目の『12 STORIES』 (97・未)は第50回カンヌ国際映画祭・ある視点部門で上映され、シンガポール映画初の本映画祭正式出品作となる。7年ぶりに監督した第3作の長編映画『BE WITH ME』(05・未)は、第58回カンヌ国際映画祭・監督週間部門でシンガポール映画初のオープニング上映となり、第18回東京国際映画祭でアジア映画賞スペシャル・メンションを受賞。

また、第78回アカデミー賞の外国語映画賞のシンガポール代表にも選出された。 長編4作目『MY MAGIC』(08)はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品された。97年ナショナルアーツカウンシルによる映画部門ヤングアーティストアワード、99年のシンガポール・ユース・アワード、そして2008年には大統領から文化勲章を、フランス政府から芸術文化勲章シュヴェリエを授与される等、華々しい経歴と実力を持ち今後の活躍も期待される世界的な映画監督である。

アソシエイト・プロデューサー:山本 真郷
東京生まれ。幼少期をアメリカで過ごす。2002年、慶応義塾大学大学院卒業、富士フイルム入社。イメージング事業部(写真・映画ビジネスの総称)で海外マーケティングに従事。2006年から東南アジアのマーケティング責任者としてシンガポールに駐在。駐在中に本作『TATSUMI マンガに革命を起こした男』の製作に参画し、エリック・クー監督を総合的にサポート。マンガ・絵本の翻訳も手掛け、辰巳ヨシヒロの短編集「真夜中の吊り師(Midnight Fishermen)」(13年)を英訳。

映画フイルムを製作会社や現像所に売り込むべく東南アジアを飛び回っていた2006年に業界研究の一環として鑑賞したクー監督の『Mee Pok Man』に感銘を受け、同氏の作品に映画フイルムを使ってもらいたいとZhao Wei Filmsを訪れたことでクー監督と出会う。

映画やマンガを含むサブカルチャーを語り合う友人となり、クー監督が「劇画漂流」の映画化を熱望し声をかけられたことからアソシエイト・プロデューサーとして参画。辰巳氏の印象を「実際にお会いするとカウンターカルチャー的な作品から想像していた作家像からは程遠くとても心温かいチャーミングな方で、初めはそのギャップに驚かされた」と語り、9ヶ国もの多国籍なメンバーで構成されたプロジェクトを見事にまとめ上げた。

クリエイティブ・アニメーション・ディレクター:フィル・ミッチェル
アート・ディレクター:ウィディ・サプトウロ
サウンド・ディレクター:佐藤和生(Kazz)
音楽:クリストファー・クー、クリスティーン・シャム
アニメーション・プロデューサー:エサフ・アンドレアス・シナウラン
プロデューサー:タン・フォン・チェン、フィル・ミッチェル、フレディ・ヨー