愛しきソナ

東京で暮らす私(ヤン・ヨンヒ監督)には、ピョンヤンで暮らす3人の兄と、天真爛漫で屈託のない笑顔の姪ソナがいる。

1972年から3人の兄が帰国事業で北朝鮮に渡り、ピョンヤンで暮らすことになった。当時、北朝鮮は“地上の楽園”と呼ばれ、民族差別のため日本で進学や就職の道が閉ざされていた兄たちにとって、それは最善の選択と思われた。兄たちは当時18歳、16歳、14歳。私はまだ6歳で両親とともに日本に残った。

私はソナと甥っ子たちを、彼女らの幼い頃からピョンヤンを訪れる度にビデオカメラに収めた。ボーリング場で遊ぶソナと甥っ子たち。兄たちの家族と一緒に囲む食卓。日本に残った祖父と祖母へのビデオレター用に挨拶する子供たちの笑顔が愛くるしく、バス・ターミナルでの別れが寂しい。ソナはクラスの友達や好きな男の子の事も話してくれた。またピョンヤンに住む彼らの墓参りや結婚披露宴、誕生パーティーの様子もビデオカメラに収めた。ソナの登校に付いて行った私は、兄(ソナの父)と手をつないで歩くソナに、幼い頃の自分を重ねた。校門でつぶらな瞳の子どもたちに囲まれたが、私は中に入る事は出来なかった。自分はあくまでも訪問者で、ソナはこの国で生きているという事を痛感したからだ。

夜の団欒の時、ソナの母がギターを片手に弾き語る母親への想いを込めた歌に、父は涙した。翌日その父が一番上の兄コノと散歩をする。北朝鮮に送り出した者と送り出された者。二人の胸には様々な想いがあるはずだが、兄は父の体を思いやる言葉をかけ、父は無口になるだけだった。

その後、私は前作「ディア・ピョンヤン」が原因で、北朝鮮政府から入国禁止を言い渡されてしまう…。