DIRECTOR'S STATEMENTプロダクションノート 交渉8年、撮影・編集に2年。ビルを撮影するということ。

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』の制作期間を尋ねられると、私は10年と答えます。それはビルを説得するのに8年! 撮影と編集に2年かかったということです。ビルを撮影するということはそれだけの時間がかかり、そんなビルだからこそ映画の被写体としてこれほどまでに興味深い人物であるということにほかなりません。私のビルへの強い関心は、彼の仕事に対してだけではありませんでした。一人の人間としてのビル、彼がどのように自身の生き方を決めてきたのか、そして彼の宗教的なほどに献身的な仕事ぶりにありました。しかし、何年来もの知人でさえ彼自身の私生活についてまったく知らないような人物の映画を、どのようにして作ればいいのか?

ビルは撮影されることにまったく乗り気ではなかったため、撮影方法は自ずと決まってきます。カメラクルーや録音技師、ブーム・オペレーターなどを配置することはまず無理です。よって、彼自身が被写体を捕えるときの方法と同じ方法で彼を撮影する必要がありました。つまり「控え目に、静かに、我々の存在を消して撮影すること」です。そのような理由で我々は大掛かりな撮影クルーを排し、手持ちの小さなホームカメラのみで撮影することにしました。彼が信頼する人間のみで撮影を敢行することで、家族のような関係を築きあげる必要があったのです。 私、プロデューサーのフィリップ・ゲフター、そしてビルと親しいニューヨーク・タイムズ紙のカメラマンのトニー・セニコラだけでこの映画を作ることになりました。
ビルを撮影するために、事前にスケジュールを組むことは一切できません。いつでも撮影できるように、我々は連日、ニューヨーク・タイムズ社でカメラを準備して待機するのみです。それは、何が待ち受けているのかまったく先入観を持たずに、ビルがストリートに飛び出していくのと同じ方法です。ビルは「街が語りかけてくるのを待つ」と言いますが、我々も同じアプローチをとる必要があると考えました。時間の経過とともに、その人物像と映画の物語が明らかになることを信じて─。

ポートレートにとどまらない作品を目指して

街でのビルの撮影はダンスのようでした。彼の気分やタイミングを見計らいながら、撮影できるチャンスを逃さないように、我々は一年を通してほとんどの時間をニューヨーク・タイムズ社で過ごしました。ビルが「ON THE STREET」の紙面の編集作業をするアート・デパートメントのジョンのデスクで彼を待ち構えていたものです。そして、時がくると静かにカメラを廻し始め、コンピューターで作業するビルとジョンを撮影します。しかしその後、ビルを撮影できるまでにまた数週間も待ち続けなくてはならなかったりもしました。まず、ワイヤレスマイクを装着させてもらうのに一カ月かかり、それも彼の気が向いたときのみ可能でした。「今晩イブニング・パーティーへ同行させてもえないか?」や「自転車の後を追って撮影していいか?」など、お願いしたいことをデスクにメモ書きで残して彼とコミュニケーションをはかっていたのです。

ときに、カメラマンのトニーと私は、ビルが撮影をするストリートや、彼がフィルムを現像するラボ、または彼が暮らすカーネギーホールの入口(これが一番リスキーでしたが)に突然出没したりもしました。やがて、ビルがその場では撮影されることを嫌がってはいても、仕事に対する我々の姿勢を次第に尊重し、理解し始めてくれたことを、私は感じ始めました。そして、時折我々にご褒美を与えてくれるのです。まずは、カーネギーホールのスタジオに暮らす彼の隣人たちを紹介してくれ、さらには彼自身のスタジオに我々を迎え入れてくれました。彼がそのような行為をすることは、滅多にありません。そして私は気がつき始めました。映画制作は、その人物の真の姿が徐々に浮かび上がってくる過程と並行であるということ、また、我々スタッフと彼の関係性も映画の物語に盛り込むべきだということに。これを遂行する方法として、初期のアンディ・ウォーホル、エディ・セジウィックの映画のなかのチャック・ワインの存在が想い浮かびました。スクリーン上には決して姿を現さない声として、刺激したり挑発したりする存在です。

ビルは、ニューヨークの異なる様々な階層や重なり合う社会環境などを自由に行き来します。ですから、ビルと付き合いがある人物だけでなく、ニューヨークの様々な姿を紬ぎ出す人物達にもインタビューすることが、彼の物語を語る上で必要だと考えました。平凡でつまらないインタビュー映像になることを避けるため、ポートレート写真のような構図を意識しました。彼らそれぞれがどのような人物で、どのように暮らし、どのように仕事をしているのかを視覚的に伝えられるような工夫をしたのです。

そして『ビル・カニンガム&ニューヨーク』が姿を現す

編集室で、私はドキュメンタリー映画ではなく、むしろフィクション映画のようなアプローチでこの映画を組み立てていきました。とても力のある主人公と、彼をとり巻く風変わりな多種多様なキャラクター達を配し( 初期のアルトマン風とでもいいましょうか。そして一見ゆるく構成されているかのようにしました)、同時にゆっくりと展開する物語性も含ませることによって、それらが合体したときに、あるポートレートが浮かびあがり、次第に焦点が合うようにしたのです。それはまるで、コラージュすることによって、さらに大きなものを作りあげていくビルのニューヨーク・タイムズ紙のコラムのようでもあります。

ビルの生活に関する事実の羅列は、彼の生活の輪郭を知るという意味しか私にはありませんでした。それは彼自身を決して表してはいません。私は彼の伝記映画を作りたいわけではないのです。喜びといった、もっと実体がなく、目には見えないもの(決して力が弱いという意味ではありません)を捕えたかったのです。それはビルの本質でもあります。ビルはユニークで個性的なものを記録することに人生を費やしています。私はこの映画を、ビルのポートレート、さらにその延長線上にあるビルが愛する街ニューヨークのポートレートにとどまらず、自己表現と自己発案への賛辞にしたかったのです。

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